読むと旅行したくなる純愛小説

恋に不器用な男の書いた純愛ストーリー


3月13日
 

 のりこは、なかなか起きてこなかった。

いつものトマトジュースは可南子が作ってくれた。

可南子はドリップでコーヒーをたてていた。
ポットの先から糸を引くようにお湯を注いでいる。
柔らかく膨らんだ泡がクリームのようだ。
泡が崩れないように神経を集中していた。
気まずい空気の中にコーヒーのほろ苦い香りが広がった。

わたしから口火を切るべきだと思った。
 

「もし、僕にできることがあったら何でも言ってください。力になりますよ。」
 

可南子は、カップに煎れたてのコーヒーを注ぎ終わるまで何も言わなかった。

わたしは辛抱強く待った。

可南子は、コーヒーカップを両手に挟んで持っていた。
飲む訳でもない・・・ぬくもりを感じている訳でもない。

ひとつため息をついた。
そして今日始めてわたしの目を見た。
 

「安田という男にユスられているの・・・」
 

次の言葉を待った。
 

「安田は、2年前まで江渕の運転手だったんだけど、口が軽くてクビになったの・・・会長付きの運転手って結構な秘密を知り得る立場にあるのよね・・・でも、クビにしたことでかえって寝た子を起こしちゃった・・・最初は絵里子さんのことで江渕に500万要求したの。」

「それで、今度は可南子さんに・・・」
 

可南子は、頷いた。
 

「毎月50万ずつ現金で手渡したの・・・もう1000万にはなったかしら・・・江渕にはずっと内緒にしていたわ。」

「でも世間に知れ渡った今、もうユスられる理由はないじゃないですか。」
 

しばらくの沈黙があった。
 

「お金で済んでいるうちはよかった・・・汚職事件で江渕が会長を退くことになって、わたしに50万は苦しかった。お金で払えないなら体で払えって・・・」
 

田口は、安田のことを知っているのだろうか。

わたしは、西田の言葉を思い出した。
タレ込みは女の声だったと・・・
 

「可南子さん、江渕さんと絵里子さんのことをアウトフォーカスに電話したのはあなたですね・・・?」
 

可南子は目を丸くしてわたしを見た。
 

「アウトフォーカスの西田は僕の友人なんです。」

「そう・・・」
 

また、ひとつため息をついた。
 

「安田は、今度はマモル君のことを持ち出して江渕をユスったらしいの。」

「そして、また断られた・・・それでまた可南子さんに・・・?」

「もうわたしには江渕を護る気力も理由もなかった。だから、わたしは安田から解放されたかったの。」
 

誘拐事件の新しい局面を迎えていた。
 

「会社をクビになった安田は、江渕と絵里子さんのことをネタにユスッたが断られた。そして今度はそれをあなたに話した。あなたは江渕さんを護るために内緒で月50万を払い続けた。しかし、金が続かず体を許してしまった。金に困ったのは安田も同じで、今度はマモル君のことで再び江渕さんをユスった。しかし、江渕さんはそれも断った。安田は、そのことをあなたに話して50万を払い続けるように要求した。いいかげん嫌気がさしていたあなたは公にすることで逃れようとした。が・・・体を許したことでまた、ユスられている・・・」

「わたしは、もうだめね・・・」
 

そう言って、頭をテーブルにこすりつけた。
 

「50万を払っていた証拠は残っていますか?」

「いいえ・・・渡す時は現金で直接渡していたから・・・」
 

可南子は、不思議そうな顔をしていた。
 

「安田のことはだいじょうぶ・・・心配しないで僕に任せてください」
 

何をすべきかわからなかったが、そう言うしかなかった。
必ず、可南子を護る決意でいた。
わたしは、可南子の肩に手を置いた。
泣き止むまでずっとそうしていた。

扉の開く音がして振り向くと、まだ寝ぼけ眼ののりこが立っていた。
 

「ママ、コーヒー沸いてる?」
 

重苦しい空気がいっぺんに吹き飛んだ。
 

「遅いぞ、のりこ」

「だって昨日疲れちゃったんだもん。」
 

のりこの笑顔は天使のように純真だった。

 

 わたしは、二人を残してでかけた。
もう11時になっていた。

まず、安田の居所を調べなければならなかった。

マンション前の電話ボックスから就職出版社に電話をかけた。
 

「わたくし佐々木と言いますが、安田さんをお願いします。」

「安田と言いますと・・・営業二課と編集部に二人おりますが・・・」

「いや、確か運転手だったと思いますが・・・」

「申し訳ございません。その安田でしたら二年ほど前に退職しておりますが・・・」

「そうですか・・・それは困ったな。実は、安田さんのお母様が今朝方お亡くなりになりまして、どうしても連絡を取りたいのですが・・・」

「わかりました。このまま少々お待ちください。」
 

2分ほど待った。
そして住所と電話番号を聞き出した。

住所は、高円寺・・・行ってみたが当然のことながら既に引っ越していた。
田口に電話した・・・1時間待って突き止めた。

安田は、錦糸町に住んでいた。

廃家となった工場の2階の事務所に寝泊まりしていた。

わたしは、GパンにTシャツその上に革ジャンを羽織ってサングラスをかけていた。
目立つかもしれないし、錦糸町なら目立たないかもしれないし・・・

まわりには誰もいなかった。
気持ち悪いほどの静寂の中で遠くの方から下町の喧噪(けんそう)が効果音として時折インサートされる。
何か杭を打つ音がそれに調子を合わせてリズムを打っている。
革の手袋をはめるとドアノブに手をかけた。
ゆっくりと押しやって工場に入ってゆくと1階は整然としていた。
しかし埃だらけだった。
歩くとくっきりと足跡がついた。
穴の空いた天井からいくつもの光の筋が落ちていた。
いわゆる吹き抜けになっていて壁に沿って鉄のむき出しの階段が2階へと続いていた。
壁にチェーンがかかっていた。
チェーンをはずして右手に巻き付けると、わたしはゆっくりと階段を上った。
ギシッギシッと階段がうなり声を上げる。
2階は、もともと事務所だったのだろう。
ドアには30センチ角のガラスがはめ込んであった。
そこから、中をのぞいた。
ソファで毛布にくるまって寝ている男がいた。
2階は1階と違ってゴミだらけで雑然としていた。
そっとドアを開けて中に入った。
窓は天井に一つあるだけだった。
光の筋にそって埃がもうもうと舞っていた。

男は上半身裸だった。
年齢は40くらいだろうか、でっぷりと太っていた。
髪はかなり後退している。
この男とどんな気持ちで・・・アドレナリンが一挙に体中を駆け巡る。
足下のブリキでできたゴミ箱を思いっきり蹴飛ばした。
男は飛び上がってソファの後ろに隠れた。
 

「おまえが安田か?」

「なんなんだおまえ・・・?」

「おまえが安田か?」
 

男は、足下にあった一升瓶を拾うと突進してきた。
足払いを食らわせるとゴミの山につっぷした。
男は起き上がるとまたつかみかかってきた。
そこで左のあごにチェーンを巻き付けた右手でカウンターを一発ぶち込んだ。
腰からくずれてしゃがみ込んだ。
首根っこを捕まえて立たせると膝でみぞおちを蹴り上げた。
男はたまらずゲーゲーと吐いた。
男のズボンがゲロだらけになった。
わたしはかまわず顔面を蹴り上げた。
今度は血だらけになった。
その血だらけの顔面に立て続けに右のパンチをぶち込んだ。
 

「江渕可南子を知っているな・・・」
 

わたしは努めて冷静に低い声で言った。

男は怯えながら頷いた。
 

「これ以上、可南子につきまとったら・・・死ぬぞ。」
 

男は後ずさりしながら命乞いした。
 

「いいか、可南子のことは忘れろ・・・いいな?」
 

目に涙をうかべながらわかったと唇は動いたが声にはならなかった。
 

「聞こえない・・・」

「わ、わかった・・・」

「お前は、可南子を知らない。そうだな?」

「・・・そうだ・・・し、知らない・・・」
 

絞り出すようにやっと答えた。

わたしはまだ許す気になれなかった。
この手の(やから)は口先だけだ。

右腕を一気にへし折った。
男は気を失った。

 

 工場を出るとわたしは再び田口に電話をした。
そして安田が江渕をユスっていたということだけを話した。
そして、犯行現場近くのコンビニから発送された宅急便を調べるよう伝えた。

次に私は麻由美に電話をかけた。
無性に麻由美に会いたかった。
幸いに麻由美は家にいた。

錦糸町からタクシーで30分ほどだった。
海の匂いがたかぶった神経を落ち着かせてくれた。

麻由美は、髪をうしろに束ねていた。
白いロングのプリーツスカートに白のTシャツを着ていた。
 

「やぁ・・・」
 

他に何と言っていいかわからなかった。
麻由美は笑顔で応えた。

空きっ腹にはこたえるいいにおいが部屋中に漂っていた。

そう言えばもう3時なのに昼食をとっていない。
 

「お昼まだなんでしょ・・・」
 

ぐーっとおなかが鳴った。
麻由美がキャッキャッと声を立てて笑った。

スープにパスタ、それにサニーレタスとトマトのサラダが並んでいた。
 

「おいしそうだな。このスープはなんだい?」

「特製のクラムチャウダー、それにこれがウニを絡めたパスタ。」

「俺が電話して30分で作っちゃったのかい?」

「そ、女も30を過ぎるとね、手際が良くなるものなのよ。ね、ベランダで食べない?」

「いいね・・・」
 

穏やかな日差しを浴びながらのんびりと貨物船を眺めているのもいいもんだ。

記憶を失ってからすさまじい勢いで空白を埋めて来たので少々ここいらでブレイクタイムだ。

お互いに話すことはなかった。
麻由美はワインを片手にじっと海を見ていた。

のんびりと幸福な時間が流れていった。

 


3月12日
 

いつもの儀式を終え8時に愛車カルマンギアのご機嫌を伺った。
今日は、バッテリーを替えたせいかすこぶる機嫌がよく、一発でエンジンがかかった。

のりこはグリーンのタータンチェックのキュロットにボタンダウンのシャツ、その上に黄色のVネックのセーターを着てマドモアゼルノンノンと書かれたブルゾンを羽織っていた。

靴はベージュのデザートブーツ・・・女の子のこういうコーディネーションはかわいいなと思った。

晴海の絵里子のマンションを行き過ぎて一つ目の信号手前の電話ボックスの前で車を停めた。

のりこはマスコミが張り込んでいないことを確認すると電話ボックスから電話をかけた。

マモル君は黄色いリュックを背負いブルーのつばつきの帽子をかぶっていた。

横断歩道をスキップしながらかけてきた。のりこに手を引かれすっかり仲良くなっていた。
 

「やぁ、マモル君こんにちは。」

「あ、おじちゃん!」
 

そう言って私に飛びついて来た。
 

「ごんべぇさん、すごい!マモル君に気に入られちゃった。マモル君て、人見知りして大変なの。」
 

私は、できるだけマモルの目線に近づこうとしゃがみこんで頭をなでながら言った。
 

「そうか、マモル君今日は楽しく遊ぼうな。」

「うん!」
 

マモルは、私のことをまるで父とでも思っているかのようになついた。
やはり、子供には父も母も必要だということか・・・

私は、のりこのナビゲーションで言われるがままに運転し新木場から湾岸自動車道に入り浦安で下りた。すでに駐車場も長蛇の列ができていた。
係員の誘導を無視してマモルのリクエストのミッキーマウスの前に駐車した。

私たちは、大きくうねる人波に呑み込まれるようにデズニーランドの中に入った。
 

「さ、まずどこに向かえばいいのかな?」

「そうね、本当ならスペースマウンテンと言いたいところだけど、マモル君にはまだ無理だよね・・・カリブの海賊かな、そうと決まったら、さ、走ろ!」
 

えっ走るの?

わたしは、マモル君をおぶって約300メートルを全力疾走、これにはさすがのわたしもこたえた。
それからさらに30分並んで、乗ったのは、わずか5分足らず。
 

「あー、面白かった。ね、マモル君。」

「うん!」

「次はどこにしようか・・・そうだ、ジャングルクルーズはどう?」

「うん!」
 

のりこは、もうすでに10回以上もきていると言う。
回る順番も心得ているらしい。

のりことマモルは3年間の姉弟のブランクを埋めるかのように楽しんでいた。

二人を見ていると微笑ましくもあり、うらやましくさえ感じた。
私には、兄弟はいるのだろうか? 
もし、いるのなら妹が欲しいと思った。

12時になると私たちは園内のレストランで昼食をとった。

マモルの口の周りをナプキンで拭き取りながらのりこが言った。
 

「マモル君、今日はたくさんお土産を買おうね。」

「うん!」
 

そしてありったけのぬいぐるみとミッキーやドナルドの帽子を買った。
 

「こんなに買って、もう持てないよ。」

「まだまだよ。ね、マモル君。」

「うん!」

「マモル君は、“うん!”だけだな。」

「うん!」
 

のりこが吹き出した。
わたしも、無垢な二人を見て笑った。

夜の7時になって私たちは帰ることにした。

すでにマモルは私の背中でかわいい寝息をたてていた。
 

「花火も見せてあげたかったんだけどな・・・」

「遅くなると絵里子さんが心配するから。」

 

湾岸道路を木場で下りて絵里子のマンションに着いたのは7時半頃だった。
 

「ごんべぇさん、だめ・・・マスコミが張り込んでいるわ。」
 

車を停めた。

暗がりに3つの赤い光の点が上下左右に動いている。
 

「おれが彼等の気を引きつけるから、様子を見て走って入るんだぞ。」
 

のりことマモルを下ろした。

ふたたび車を動かした。
彼等の気を引くように今度はできるだけゆっくり走った。
横を通り過ぎる時にその赤い点の正体がたばこであることがわかった。
カメラを持った男を含めて3人がマンションの反対側に張り込んでいた。

男達がこっちを見ている。

私は、マンションを行き過ぎて喫茶店の前で車を停めた。
横断歩道をわたって男たちに近づいた。

カメラの照準が私に向けられた。

その瞬間、小さな二つの陰がマンションに消えたのが見えた。

性格のいい連中と付き合っているわたしにとって、彼らは明らかに違う部類の人種のように思われた。
カシャカシャとシャッター音が鳴り響く。

わたしはかなり気に入らなかった。
脳の奥の方で何かのスイッチがオンになった。

わたしは、3人の顔をなめるように見た。

それは、かなり挑発的だったに違いない。

一人が、くわえていたタバコを道に投げ捨てた。
火花を散らしながらアスファルトの上で小さくバウンドした。
 

「いけないな、道路を汚しちゃ・・・拾えよ。」
 

そいつは、吸い殻で汚れた道路に目をやった。
下を向いた瞬間、膝で顔面を蹴り上げた。
後の二人が後ろに飛び退いた。
鼻血が飛び散り目は朦朧としていた。
さらに頭突きをくらわせた。
 

「何をするんだ!。」
 

後の二人が言った。
 

「悪いな、道路を汚されたんでね。嫌いなんだ、そういうの。」
 

不意のことで驚いたようだったが、二人はお互いに顔を見合わせ、いきなりわたしに殴り掛かってきた。

次の瞬間、目の前に3人が倒れていた。
一人は顔面血だらけで、一人は股間を押さえてのたうち回っている。
そして、もう一人の腕は完全に反対を向いていた。

わたしはどうやって殴り倒したのかわからなかった。
右の肩がジンジンした。

カメラからフィルムを抜き取ると急いで車に戻った。

ドアを閉めると同時にのりこが戻って来た。
 

「今、送ってきたわ。ね、肩痛むの?」

「大丈夫。でも、高木ってボクシングをやっていたらしいぞ。」

「えっ?」
 

わたしは、急いで車を発進させた。
警察沙汰になってはまずい。
 

「いけない・・・あわてていてマモル君にお土産渡すの忘れちゃった。」
 

20分も走ったところでのりこが言った。
 

「ね、あそこのコンビニの前で停めて。」

「どうするんだ?」

「宅急便で送るの。」

「コンビニから宅急便で送れるのか?」
 

のりこは頷いて車から降りた。
紙袋をいくつか買ってその中にお土産を入れた。
大きな熊の縫いぐるみは専用の入れ物を使った。
 

「簡単なんだな。」
 

わたしが言った。
 

「そ、簡単でしょ。」
 

わたしの頭の中でこんがらがっていたものがほどけだした。
 

「つまり、自分の家にも送れるってことだよな・・・?」

「そんなの常識だよ。今は旅行先から自宅にお土産や荷物を直接送って手ぶらで帰ってくる時代なんだから・・・」

「コンビニならどこでも扱っているのか?」

「たぶんね。」
 

青山のマンションについたのは9時を過ぎていた。

まず、シャワーを浴びた。
ダイニングに行くと可南子が冷たいビールを出してくれた。
その間にのりこがシャワーを浴びていた。

そして、電話が鳴った。可南子が出た。
 

「いい加減にして!」
 

押し殺した声でそれだけ言うと切った。

可南子の顔がひきつっていた。

わたしは、どうしたのかと目で言った。
可南子はなんでもないと首を振った。

そこに頭にバスタオルを巻き付けたのりこが入ってきた。

可南子が笑みを作って言った。
 

「レモンソーダ飲む?」

「うん!」


3月11日
 

そして、10時ジャストにダイヤルをまわした。
 

「もしもし、西田です。」
 

わたしからの突然の電話に西田は非常に驚いていた。
私たちは昼食を約束した。

待ち合わせた場所は、銀座小松ビル地下のインド料理店、マハラジャだった。

西田は、小柄だがダイエットを必要としていた。
 

「いやぁ、心配したよ。いったい何があったんだ?」
 

わたしは、かいつまんで大島での事故のことを話した。
しかし、わたしが今のりこの家に世話になっていることは伏せておいた。
 

「そうか・・・記憶喪失か・・・俺がおまえと最後にあったのは・・・」
 

西田は、上着のポケットから手帳を取り出してスケジュールを確認した。
 

「確か1月25日月曜日・・・そう、間違いない・・・あの日は、お前の給料日で、おごるから付き合えって珍しく電話をくれたんだ。でも、おまえ随分落ち込んでた。例の江渕の件で行き詰まっていたから・・・」

「そうみたいだね。なんとなくその頃の自分の状態が最悪だったってことはわかっているんだ。でも、どうして大島に渡ったんだろう?」

「そうだな・・・確かにあのときはどこかに旅行するって一言も言っていなかったから・・・もし、大島行きを決めたとしたら、25日以降に何らかの心境に変化があったってことだろうな・・・」

「そうか・・・それを君に聞くのは無理があるな・・・」

「それに、あのときお前はあまり口をきかなかった・・・というより、俺の方が一人でしゃべっていたんじゃないかな・・・そうそう、あの日俺は世間をあっと言わせる大ニュースを持っていたんだ。しかし、例のあの事件で掲載が遅れちまったけどね。ははは・・・」

「君もあの1億円誘拐事件に振り回されたってわけか・・・」

「しかし、うまくやったもんだ。これこそ完全犯罪ってやつだな。」

「完全犯罪・・・?」

「そうさ、世間を味方につけた。見事さ。見事な完全犯罪さ。世間は誰もこの犯人が捕まることを望んでいない。」
 

ショックだった。犯人はアルセーヌ・ルパンか・・・
 

「それにこれはここだけの話にして欲しいんだけど・・・2月の3日から4日の間に相次いで全国の養護施設に100万円単位でなぞの寄付金が送られているんだ。その数38カ所、金額にして3800万円・・・」

「つまり、それと強奪された1億円とは関係があると・・・?」

「たぶんね。」
 

はっきりいってわたしの心は大きく揺れていた。
わたしは、世間を敵に回さなければならないのかもしれない。
 

西田はさも満足そうにタンドリーチキンをほおばっていたが、わたしはあまり食欲がなく、ラッシーを飲んだ。

わたしは考えていた。
誘拐はほとんど成功しない。
それは、金の受け渡しが難しいからだ。
しかしこの犯人はいとも簡単に成功してみせた。
支払われた1億円はいずれ追徴金として国庫に入る金であった。
そして、その金は養護施設に寄付された。
偽善者というには容易い(たやすい)が、そのためにおかした危険も大きかったはずだ。
なぜ、そうまでして・・・絵里子と江渕の関係を知っていたのは・・・まず、絵里子と江渕本人、絵里子の弟、修・・・絵里子の高校時代の恋人、近藤浩・・・しかし、あの近藤浩が養護施設に寄付するだろうか・・・寄付されたのは3800万だけ・・・今のところは・・・3800万は目くらましかもしれない・・・
 

「オイ・・・オイ、高木・・・大丈夫か?」

「あ、ごめん・・・さっき、たしか世間をあっと言わせるニュースを持っていたと言っていたよな・・・」

「ああ、江渕に愛人がいて隠し子までいたって話かい?」

「やっぱり・・・それ、どうしてわかったんだ?」

「女の声で匿名の電話があったんだ。あのときも言ったろ、確証がつかめるまでずっと張り込んでてやっと写真に収めたところだった。あの事件のために掲載が遅れたけど効果抜群の大スクープさ。」
 

    ・・西田もリストに加えた。
 

「ところで、おまえアマチュア無線には詳しいのか?」

「ははは、俺はお前と違ってそういうのはてんでだめなのさ。」
 

わたしは、絵里子の弟の修に会わなければと考えていた。
のりこに午後からの行動を連絡した。
田口と松永から電話が入っていた。

田口とはお互いの情報交換のために夜8時に食事を約束した。

松永からは江渕の隠れ場所をつかんだという話で明後日の朝会うことにした。

修の勤めている稲城の自動車工場は、従業員5人程度の小さな工場だった。
工場の横の空き地には、ボディに白いチョークの入った車や、おそらく車検のための車が約10台ほど置かれている。
白いつなぎを着た、まだ20才くらいの若者が書類を手に工場から出て空き地に置かれている整備完了の車に乗り込んだ。
わたしは近づいて窓をノックした。
彼は、怪訝(けげん)そうにわたしを見つめ、窓を開けようとしたがパワーウイインドウのためイグニッションキーがオンになっていないと開かないらしく、少し手間取ってやっと窓が開いた。
わたしにしてみれば、ドアを開ければいいものを・・・と思ったが口には出さなかった。
 

「何か用?」
 

わたしは、TOKIO CITY NEWSの手帳を見せた。
 

「ちょっと、林修君についていろいろ聞きたいことがあるんだけど10分ほどいいかい・・・?」

「悪いけどさ、今ちょっと忙しいんだよな。これから、世田谷まで納車なんだ。」

「じゃ、もし差し支えなければそこまで一緒させてもらえないかな?」
 

少し面倒くさそうだったが、渋々了解した。

私たちは、鶴川街道から川崎街道に入り多摩川沿いに走った。
 

「で、話って何?修がどうかしたの?」
 

彼は、タバコの灰を車内に落とさないように窓から手を突き出して左手1本でハンドルを握っている。
 

「いや、別に何もしちゃいないさ。ただ、あることでどうしても修君に会わなくちゃならなくてね。そこでいきなり会う前に下調べしておきたかったんだ。」

「ふうーん・・・でも別にこれといって話すことなんか何もないよ。まじめで、おとなしくって、少し暗いけど、いいやつさ。」

「最近、特に変ったことなかったか? 例えば・・・急に金回りが良くなったとか。」

「・・・そういえば、俺のダチが1週間ほど前に見たらしいんだけど・・・あいつポルシェを転がしていたって言うんだ。真っ赤な911カレラを。俺、そんなの何かの間違いだろうって言ったんだけど・・・絶対に間違いないって言うし・・・でも、俺たちの給料じゃ逆立ちしたって無理だぜ。」
 

私たちは納車を終え、ついてきたもう一台の車で今来た道を戻った。

 

 修は髪を茶色に染めていたがおとなしいその辺にどこにでもいるごく普通の若者だった。

体中油だらけの修は、腰にぶら下げた油だらけのタオルで手を拭きながら私のところへやってきた。

彼にもTOKIO CITY NEWSの手帳を見せた。
一瞬だったが修の顔色が変わったのを私は見逃さなかった。

私たちは、工場のはす向かいにある喫茶店に入った。
修はクリームソーダ、私はブレンドコーヒーを頼んだ。
 

「ポルシェに乗っているんだって?」

「えっ? いや・・・はい、それが・・・?」
 

私のいきなりの質問に修はうろたえた。
 

「高いんだろうね・・・ローンも大変でしょ?」
 

私は、修に考える暇を与えなかった。
 

「・・・好きですから・・・」

「でも、どうしてみんなに内緒にしているのかなぁ・・・あこがれの車でしょ・・・言いふらしたくないの?」

「あ、あの・・・そんなこと聞くためにここへ来たんですか?・・・僕が、何を買おうと関係ないと思うけど。」

「ごめんごめん、立ち入ったこと聞いちゃったね・・・でも、聞きたいんだ。ポルシェ911カレラといえば、軽く1000万を超える車だろ? それを君がどうやって手に入れたのか・・・父親のいない君が・・・そして病弱な母親の面倒を看なくてはならない君が・・・それをどうやって手に入れたのか・・・いいかい、さっき僕は直接ポルシェの日本総代理店に電話をかけて調べたんだ。例えば500万を頭金に48回のローンを組んだとしても月々15万、ボーナス時にはさらに50万が加算される計算になる・・・それなのに、どうして君はそれを手に入れることができるのか・・・僕にはとても興味があるんだ・・・そう、うちの読者もね。」
 

修の目は落ち着かず、空っぽの頭がフル回転してカラカラと空虚な音が聞こえてきそうだった。 

修は、口の乾きに耐えきれずクリームソーダを一口飲んだ。
 

「もしこれが・・・何らかの・・・犯罪と関係しているんだとしたら・・・例えば誘拐とか・・・」

「違う・・・それは違う!」
 

さいわい店内には客はひとりもいなかった。

ウエイトレスを兼ねたオーナーがちらっとこちらを見たが再び伝票の整理を始めた。
 

「何が違うんだ!」
 

修は終止落ち着かず言うか言うまいか悩んでいた。
 

「ま、いいさ。どうもこれ以上は警察の仕事らしいな・・・とりあえず、書けるところまで書くか・・・」

「わかった、言います。・・・俺たち江渕から金をもらいました。」

「俺たち?・・・金をもらった?・・・共犯は誰なんだ?・・・それにもらったんじゃなくて身代金の強奪だろう。」

「違う!俺たち、あの事件とは関係ないんだ・・・ただ、姉貴のことバラすって・・・江渕の奴、マモルのことを認知しないし・・・だから俺たち・・・」

「もうひとりは、近藤だな。」
 

修は、すべてを観念したように小さく頷いた。

私は、その場で田口に連絡をとり近藤からウラを取るよう依頼した。

田口とは、約束通り8時きっかりに原宿のイタリアンレストラン“ヘブン”で会った。
 

「ごんべぇさん、お手柄ですよ。確かに修が言っていたことは本当でした。近藤の供述とぴったりと合いました。」

「ピッタリ合った・・・?つまり、それは、ただのユスリであって誘拐の犯人じゃないってこと・・・?」

「残念ながら・・・そういうことです。首謀は近藤で、マモル君のことをネタに3000万ユスってました。しかし、この件に関しては江渕からの訴えがない限り事件として扱われません。ま、訴えるわけはないですが・・・だいたい今度の事件はあんなチンピラにできるヤマじゃないですよ。」
 

私は、振り出しに戻ってしまった。

マンションに戻ったのは12時前のことだった。

のりこが出迎えてくれた。
 

「ごんべぇさん遅いんだもん・・・待ちくたびれちゃった。」

「ごめんごめん、田口さんとちょっとね・・・」

「ごんべぇさん、明日私とデートしてくれる?マモル君も一緒だけど。」

「ああ、いいよ。ちょっと気分転換が必要だし・・・」

 

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