読むと旅行したくなる純愛小説

恋に不器用な男の書いた純愛ストーリー


  11
 

 それからというもの、ふたりは何回か仕事で一緒になることがあり、たまに家まで送ったりしながらお互いの身の上を詳しく知るようになった。

美奈は休みの日に突然やって来て、一日中恭平の部屋にいることもあったし、相変わらずキッチンに入ることはなかったが掃除もした。
そして何より恭平は、美奈の仕草に見え隠れする朝子の面影への戸惑いがなくなりはじめていた。
逆に朝子のようにタイミングのいい的確な助言を求めるようになっていた。
 

「橘さん、美奈です。ちゃんと食事してますか?」
 

携帯に連絡があった。
 

「あぁ・・・ちゃんと食べてるよ。」
 

「よかった。明日の午後には帰るので、お夕飯は、私のマンションで一緒に食べませんか。」
 

 次の日、恭平はロケハンからの帰り道に思わぬ渋滞に巻き込まれて、結局美奈のマンションに着いたのは夜の7時を過ぎていた。

ドアを開けるといつも美奈の笑顔が迎えてくれる・・・その笑顔に恭平はどれほど癒されただろう。
インターフォンを押してドアを1センチほど開けると、その隙間から明かりが漏れてきた。
いつもの笑顔はそこにはなかった。
一気にドアを開けて入ると、キッチンの方から味噌汁のにおいが漂ってくる。
こちらを振り返った美奈の髪がフレアスカートのように一瞬広がり、そして収まる。
流れるようなハープの効果音を付けたいくらいに光の筋が滑らかに移動する。
美奈の髪は美しい。
いつも美奈の髪に触れたいという衝動に駆られるのだが、そこまでの勇気は恭平にはなかった。
 

「おかえりなさい。遅かったんですね。」
 

ほっとする天使の笑顔が、恭平の疲れを吹き飛ばす。
 

「ごめん、だいぶ待たせたみたいだね。」
 

「1時間くらい前かな? でも今日は、簡単なものしか作ってないの。なんか無性にお味噌汁が飲みたくって・・・それと納豆とお魚はきんきの煮付け、後は・・・芥子菜のおひたしだけ。健康的でしょ。」
 

美奈は、恭平の健康のために調味料にもこだわった。塩は天然塩を使う。
それに醤油も高松から取り寄せている。
決して砂糖は使わず、みりんだけだ。
だから素材の味が生きている。
 

「それとね、焼酎を買ってきました。」
 

「すごい。佐藤の黒じゃないか。」
 

「ロックでしたよね?」
 

 美奈が作る料理は、おふくろの味がすると恭平は感じていた。
母親がしっかりと教育したに違いない。
若いのにどこか古風なところもある。
細かいところによく気がつく。
そしてなによりも、年の差を感じないから、一緒にいて疲れないのがうれしいと思っていた。


  10
 

 治子から電話があった。
 

「今度のハワイロケ、美奈でいいかな? 私仕事が重なっちゃって行けないの・・・いいよね?」
 

美奈のことを思うと断れるはずもない。

恭平は思った・・・ハワイの空気を感じてくるだけの短いロケなのだ、それでも美奈の喜んでいる顔が目に浮かぶ。

このハワイロケはタレント夫婦の都合で急遽行くことになった。
夫である歌舞伎役者が
NHKの大河ドラマの主役が決まっていたため彼等の最後の休みに便乗してのロケなのだ。
だから行ったとしてもほとんどとんぼ返りだった。

ハワイでの撮影となったが、本来は日本が設定の頭痛薬のTVCMだった。

感動的な景色を見せたいがために妻を連れて四駆でやってくる。
そしてそれから先をマウンテンバイクでという時に彼女がそっと頭に手をやる。
“早く効いて胃にやさしい”がキャッチフレーズのその薬をのんでことなきを得た彼女は、ホノルルのカピオラニ公園の木立の中を楽しそうに走り回る。
そして訪れた妻の感激の顔・・・見たこともない壮大な景色と対面する・・・顔に西日が当たって幸せそうに寄り添う二人。妻が言葉もなく夫を振り返る時の幸福感に満ちあふれた顔。
“君の笑顔にやっと会えたね“とスーパーが入る。
これはオアフのハワイカイとモロカイ島の2カ所に分けて撮った。

そんな短いハワイ滞在最後の夜、打ち寄せる波の音を聞きながら、恭平と美奈はスタッフとともにマイタイバーにいた。

昼間の余韻を忘れられない子供連れの家族達がすっかり熱さを吸い込んでしまった砂浜を裸足ではしゃぎ回っている。
 

「あっという間だったな・・・でも、ホノルルじゃハワイの良さはわからない。」
 

「・・・」
 

「どうした?疲れたかい・・・?」
 

「少し・・・」
 

帰還するディナークルーズの遊覧船が遠くにいくつも見える。
 

「ここだとあんまり星も見えないんですね・・・結局虹も見れなかった・・・でも、来てよかった・・・また来たいと思えたから・・・」
 

「いつだって来れるさ・・・」


  

 

  恭平は、昨日タイから帰国したばかりだった。

ここ最近、タイのソン・ブンというお気に入りのカメラマンと仕事することが多く、よくバンコクに行った。

留守電に美奈の伝言が入っていた。
 

「橘さん・・・美奈です。帰国されたらお電話ください。」
 

・・・そうだった。

美奈の手料理か・・・社交辞令とあまり気にも留めていなかったのだけど・・・戸惑った。

ここは、朝子と過ごした部屋・・・女性を入れることに彼女はなんと思うだろうか・・・彼女がいなくなったとしても何も変わらず、今朝子がひょっこり玄関を開けて入って来ても別に驚くこともない。
あの頃と同じだった。

とはいっても少しは片付けないと・・・

恭平は、そうすることになんとなく抵抗があった。
もう朝子がいないことを認めたようで・・・

 

恭平は、あらためて部屋を見回した。

そこら中に朝子がいる。
片付けようがない。

朝子は特にキッチンに入られるのを嫌がった。
 

・・・どうしたものだろう・・・

 

 

美奈がやってきたのは2日後の土曜日の午後。

テレビモニターに屈託のない笑顔が大写しになった。

おそるおそるあたりを見回しながら部屋に入る美奈。
 

「きれいにしてらっしゃるんですね・・・驚きました。」
 

「いつもは散らかってるんだ・・・朝から掃除で大変だったよ・・・」
 

美奈はベランダに出た。
 

「目の前が馬事公苑なんですね・・・えっと・・・あ、あった・・・私のマンションはあそこです・・・用賀の駅の真上に建っているマンション・・・ね、近いでしょ?」
 

そこで、インターフォンがなった。

今度は飯島治子の顔が大写しになっている。

「そうなんです。治子さんも来るって・・・男性の部屋にひとりでいきなり行くなんて何事って、叱られちゃいました。」
 

・・・助かった。
 

「ワイン持って来たわよ。ま、橘ちゃんももう独身なんだからいいんだけどさ・・・いきなり美奈をひとりでこの部屋に入れると私が朝子に叱られちゃうからさ・・・保護者としてついて来たって訳・・・悪く思わないでね・・・」
 

治子がウィンクしながら言った。
 

「・・・いや、治子の言う通りだよ。」
 

そう言いながらもキッチンのことが気になっていた。
彼女の聖域に入れることに罪の意識があった。
 

「意外ときれいにしてるのね・・・キッチン・・・男やもめなんて思えないわ。」
 

「いや、実を言うと使ってないんだ・・・コーヒーを煎れるくらいで・・・朝子が亡くなった時からそのまんまで・・・」
 

「そっか・・・朝子きれい好きだったもんね。・・・そうだ美奈・・・今から美奈ん家に行こう・・・」
 

「えっ?・・・はい・・・」
 

治子のいきなりの提案に美奈はすべてを悟ったかのようだった。

恭平は、治子の気遣いにとてもすまない気がしていた・・・それが美奈に対してなのか、朝子に対してなのかはわからなかったが・・・

治子の機転で、3人は美奈のマンションにいた。
 

・・・やはり・・・

美奈は育ちがいいようだ。

 

 すべてが美奈の個性を物語っているセンスのいいシンプルな家具が配された清潔な部屋だった。

3人は、美奈の手料理でワインをいただき遅くまで飲み明かした。

治子はつぶれてしまった。

治子はいるけれど、なんとなく二人きりになったそんな気まずい空気を感じていた。

この前はあんなに二人で話し込んだのに今日は言葉が出てこない。

治子の寝息がこだまする。

美奈と二人で治子をベッドに運び、12時を過ぎた頃、恭平は帰ることにした。

帰り際に玄関で美奈が言った。
 

「また、ハワイの話を聞かせていただけますか?」
 

「そうだな・・・でもとりあえず一度行ってみるといい・・・ハワイなんてすぐそこだから・・・じゃ、おやすみ・・・」
 

・・・後悔していた“また、ハワイの話で盛り上がろう”と・・・ただそう言えば良かったのだ。
 

“ほんとにあなたって無粋な人ね”
 

朝子の声が聞こえるようだ。

すでに階下に下りていた恭平は、急いで引き返し美奈の部屋のドアを静かにノックした。

ずっと玄関にいたのだろうか、すぐにドアが開いた。

美奈は何も言わずにただ恭平の言葉を待っている。
 

「今日の料理とてもおいしかった・・・それを言うのを忘れていたから・・・それと・・・また、面白いハワイの話を仕入れておくよ。」
 

後ろの方でドアが開く音がした。
 

「あ、橘ちゃん帰るの? じゃね、おやすみ・・・」
 

ふあーっとあくびしながらそれだけ言うとトイレに入ったようだった。
 

「又来てくださいね・・・ごちそう作りますから・・・」

このページのトップヘ