読むと旅行したくなる純愛小説

恋に不器用な男の書いた純愛ストーリー


  5
 

 彼女が説明した通りの衣装が出来上がっていた。
恭平は満足していた。
 

「どう?」
 

スタイリストの飯島が言った。
 

「いいね。」
 

「あら、それだけ?珍しいじゃない・・・いつもは必ず何か言うのに。」
 

「いや、本当に気にいっているんだよ。」
 

「美奈のプレはどうだった?」
 

「堂々としていてすばらしかったよ。それに、そのときにイメージした通りのものが出来上がっている。」
 

そういって、恭平が彼女の方に笑顔を送ると赤くなって下をむいた。
 

「美奈、すごいじゃない。橘ちゃんが褒めるなんてめったにないのよ。」
 

美奈は感謝の気持ち分だけちらっと恭平を見て微笑んだ。
 

「美奈がデザインして、自分で縫い上げたの。将来有望なスタイリストよ。」
 

「すごいね。最近入ったの?」
 

「はい、この4月に入ったばかりです。」
 

変わって治子が付け足した。
 

「ちょうど3ヶ月かな? よく動くし、素直で性格もいいし、今時めずらしい子よ。そういえばね、この子ったら橘さんて、すごいですねぇ!って、興奮してたわよ。自信に満ちあふれていて、カリスマ性があるって・・・だめよ、若い子をたぶらかしちゃ。」
 

「や、やめてください、治子さん!」
 

「ははは・・・わかったよ。努力する。」
 

・・・いまさら・・・

もう恋なんてする事はないだろうな・・・

誰かを愛して、やがて失ってゆく辛さは身も心もボロボロにしてゆく。
 

「えっと、ところで斉藤ちゃん、タレント来てんの?」
 

「はい、今着いたところです。入ってもらっていいですか?」
 

「いいよ、入ってもらって。」


  4
 

 恭平たちは、セット図面を見ながら問題点を議論していた。
そこへ黒い大きなバッグを肩にかけて、佐伯美奈がひとりで入ってきた。
スタイリストは黒い大きなバッグを持つこと、とスタイリスト協会の厳しい決まりがあるのか・・・それとも大きな黒いバッグを持つとスタイリストであることが容易にわかるのでそうしているのか・・・恭平は、機会があったら一度聞いてみたいと思った。
 

「できるだけワイド目で狙いたいんだ。セットはこれでだいじょうぶかな?」
 

と、恭平。
 

「そうですね、半間(約90センチ)左右の壁を広げておきましょう。ということは天井が入ってきますね・・・。」 

と、セットデザイナー。
 

「少しあおり目で撮るから、入るね・・・じゃぁ、安全のために、天井も作っておいて。」
 

と、カメラマン。
 

下手(しもて)に、窓からの光があった方がいいと思うんだけど・・・?」
 

と照明部。
 

「いいね、でも窓は写らないから、ライトでよろしく。オーケイ・・・じゃぁ衣装に移ろうか。」
 

と、恭平。
 

 佐伯美奈が、あらかじめハンガーに吊るしておいた衣装を、ひとつひとつ丁寧にはずして、テーブルに並べ始めた。
そして、その衣装の上に一枚一枚デザイン画を置いた。
 

「すみません。今日は急に仕事が入って、飯島がこちらに来れませんので、私が説明させていただきます。この衣装はイメージサンプルです。実際には、デザイン画に合わせて作りたいと思っています。基本的に、単純に色だけで変化をつけるのではなくて、シンプルで清楚な感じから、徐々に洗練された大人に成長してゆく彼女を、表したいと思いました。ですから、襟の形、スカートの長さなどが変化して見えるようにデザインしたんです。40年もの長い間、親しまれてきた商品が、ここにきてデザインを一新した訳ですから、ただ変わったということではなく、どう進化したのか、どう成長したのかということも印象づけるべきだと思いました。消費者は、この広告を見て新しい奥村愛菜を発見するとともに、新しくなったこの商品を、ポジティブに受け入れてくれるんじゃないかと思うんです。」
 

・・・朝子だ・・・
 

身のこなし、髪をかきあげる何気ない仕草・・・

恭平は、動揺を隠せなかった。
 

「あの・・・?」
 

「あ、ごめん・・・すごくロジカルだよ。カラーリングはどうする?」
 

「そうですね、デザイン画にも色はつけておいたのですが、このように原色に近い形でパステルカラーにしたいと思います。」
 

「それがいいね。ただ・・・どうせなら例えば赤、青、黄色というような変わり方ではなくてモノトーンから徐々に色がつき始めて、最後は華やかなパステルカラーに変わるっていうのはどうだろう?」
 

「そうですね、確かにその方が変化がわかりやすいし、いいと思います。」
 

「オーケイ。それと、最後に決まるカラーは、コーポレイトカラーのブルーを意識しておいて。・・・じゃあ、それで進めて。」
 

朝子であるはずもなく・・・そして朝子はもういないことを改めて思い知らされることになり、なんだか先日とは打って変わって落ち込んでゆく自分をコントロールできなくなっていた。
 

「はい。」
 

彼女は、安心したように、ふーっと息を吐いて椅子に座った。
 

彼女は自信満々に演説をぶったわけではない。
顔を紅潮させて今にも倒れそうだった。
ゆっくりと感じたままを誠実に伝えたい・・・そう思ったのだろう。
 

・・・朝子も・・・ 
 

ロジカルだった。
僕の感性に彼女のロジックがうまく機能していた。
そういえば、最近の僕の作品には、朝子がいないな・・・だから、僕は過去の人なのだ。
 

「橘さん・・・大丈夫ですか?」
 

プロデューサーの後藤が耳元でささやいた。
 

顔を上げるとみんなが心配そうに恭平を見ている。
 

「じゃぁ、デザインの変化、商品の進化、彼女の印象の変化がわかるように、モーションコントロールだけでなく、CGを使ってモーフィングしよう。その方がわかりやすい。ヘアもモーフィングを意識して。短い髪がストーンと落ちて長くなるとかさ。彼女の変化を大胆にしよう。」
 

一時停止のポーズボタンが解除された。


  3
 

 それから、2、3ヶ月経った頃、恭平はオールスタッフ(撮影に関してのスタッフ打ち合わせのこと。スタッフがはじめて顔を合わせる)のためCMフットワークというプロダクションのミーティングルームにいた。

恭平は、先日のこともあり、どうしても断れないお世話になった人からの仕事だけを受けるようにしていた。
受ける際の条件も気のあったスタッフに限らせてもらっている。
今、目の前には恭平が一番信頼している10人を超す仲間たちが大きなテーブルをはさんで向かい合っている。

そのおかげで今日の恭平は、最近になくめずらしく調子がよく・・・どちらかと言うと躁な状況だった。
 

 テーブルの上には広告代理店が作成した資料と恭平が描いた絵コンテがおかれている。
すでにパラパラとめくって目を通すものがいたり、この仕事ではない他の撮影のことを話していたりと、まだガヤガヤと落ち着かない。
煎れたてのコーヒーが配られ、プロデューサーが会の口火を切る。

最初にスタッフの紹介が行われる。
といっても彼らは恭平が一番信頼しているスタッフなので、あらたまって紹介をする必要はないのだが、これは一種の儀式だった。
毎日を同じように過ごしている彼らの頭の中を一度シャッフルして切り替える必要があるのだ。
ちゃんとした始まりがあるから、ちゃんとした終わりがある。
それから、代理店のクリエイティブディレクターから商品のあらまし、市場の動向、企画コンテの説明が行われ、そして演出家、つまり恭平が演出コンテの説明をする。
ちょうどその時、スタイリストの飯島治子がアシスタントを連れて遅れて入ってきた。

スタイリスト、ヘアメイクは必ずと言っていいほど遅れてくる。
 

「すみません、遅くなりました。」
 

「えー、スタイリストの飯島さんです。」
 

しかも、アシスタントは紹介されないことが多い。
 

「彼女は?」
 

恭平が聞いた。

恭平は、細かいところまで気を配る。
 

「アシスタントの佐伯美奈です。よろしくお願いします。」
 

と、本人が答えた。
 

「そういえば君、以前どこかで会ったことがあるよね・・・」
 

「橘さん、その手は古いですよ。」
 

みんなが笑った。
 

「いや橘さんは、今や独身なんだし、別にいいんじゃない。あ、そういえばなんとなく朝子さんに似ているなぁ・・・」
 

恭平が作ったほとんどの作品でカメラを回してくれている下条が言った。
 

「いや、そうじゃなくって・・・」
 

と言ってはみたものの、下条が正しかった。朝子に似ていたから覚えていたのだ。
 

「・・・あ、思いだしたよ。確か・・・4月2日に、西富士霊園で会ったよね。」
 

「えっ?・・・確かに西富士霊園には行きましたけど・・・ごめんなさい、お会いした記憶は・・・?」
 

そう、恭平が見かけただけだ。彼女が知る訳がない。
 

「ま、いいか。話をもどそう。」
 

恭平は、演出コンテをもとにシーンごと、カットごとに、どう撮るのか、どう狙うのか、目的とその方法を説明した。
一通りコンテを説明すると次はセットデザイン、カメラ位置の話に移る。
もちろん照明部も話に加わった。
光の方向性を考えてキーライトの位置を決める。
パンサードーリー(移動車)が必要だとか、クレーンがいるとか、レンズは何ミリがいるとか、フィルターをどうするとか、照明機材がどれほど必要だとか・・・ヘアメイクと衣装の話に関しては大抵は後回しだ。
 

・・・そういうことか・・・

だから彼女たちは遅れてくるのかも知れない・・・

 

「今回は、ドーリーというよりモーションコントロールを使おう。カットをわらないで一気にワンカットでいきたい。だから衣装を替えて同ポジで3回と空舞台の4カット。つまり、衣装が明らかに変わったことをわからせたい。まず色。そしてデザイン。それに合わせて髪型も考えてくれ。ただし、あくまでもタレント奥村愛菜ということが認識できないといけない。それと、操演(そうえん)か美術部に彼女が手にした商品は絶対に動かないように何か仕掛けを考えさせてほしい。何か質問は?・・・じゃぁ、僕たちは4日後にもう一度集まろう。それまでに基本的なデザインを提案してくれ。ヘアメイクに関してはそのときに決めよう。」
 

もちろん、恭平の頭の中には、既にイメージはあった。
でも、ハードルは高くしたい。
プロである彼女たちを尊重したいと思っているし、必ず自分が気づかないいいアイデアを持ってきてくれる。餅は餅屋。
いいスタッフを持っているかどうかで自分の価値が決まるのだ。
おごってはいけない。
あくまでも謙虚に、時には頑固に大胆に。
そして妥協はしない。

恭平は、気のあった仲間たちに囲まれて久しぶりに前向きな自分を感じていた。
 

「それじゃぁ、2回目のオールスタッフは、25日金曜の1時から・・・セット図面と、もろもろ確認させてください。それと、衣装とヘアメイクの打ち合わせも合わせて行います。7月1日にフィッティング(衣装合わせ)をここでやります。タレントは3時に入る予定になっています。それで撮影は5日に目黒の109です。3日から建て込みをはじめますが・・・橘さん、セットチェックとプリライトは前日4日の1時からということでいいですか?」
 

恭平は、「了解。」と言いながら手帳にスケジュールを書き込んだ。どこのプロダクションの制作も、きびきびしていて気持ちがいい。

 

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