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恭平は、昨日タイから帰国したばかりだった。
ここ最近、タイのソン・ブンというお気に入りのカメラマンと仕事することが多く、よくバンコクに行った。
留守電に美奈の伝言が入っていた。
「橘さん・・・美奈です。帰国されたらお電話ください。」
・・・そうだった。
美奈の手料理か・・・社交辞令とあまり気にも留めていなかったのだけど・・・戸惑った。
ここは、朝子と過ごした部屋・・・女性を入れることに彼女はなんと思うだろうか・・・彼女がいなくなったとしても何も変わらず、今朝子がひょっこり玄関を開けて入って来ても別に驚くこともない。
あの頃と同じだった。
とはいっても少しは片付けないと・・・
恭平は、そうすることになんとなく抵抗があった。
もう朝子がいないことを認めたようで・・・
恭平は、あらためて部屋を見回した。
そこら中に朝子がいる。
片付けようがない。
朝子は特にキッチンに入られるのを嫌がった。
・・・どうしたものだろう・・・
美奈がやってきたのは2日後の土曜日の午後。
テレビモニターに屈託のない笑顔が大写しになった。
おそるおそるあたりを見回しながら部屋に入る美奈。
「きれいにしてらっしゃるんですね・・・驚きました。」
「いつもは散らかってるんだ・・・朝から掃除で大変だったよ・・・」
美奈はベランダに出た。
「目の前が馬事公苑なんですね・・・えっと・・・あ、あった・・・私のマンションはあそこです・・・用賀の駅の真上に建っているマンション・・・ね、近いでしょ?」
そこで、インターフォンがなった。
今度は飯島治子の顔が大写しになっている。
「そうなんです。治子さんも来るって・・・男性の部屋にひとりでいきなり行くなんて何事って、叱られちゃいました。」
・・・助かった。
「ワイン持って来たわよ。ま、橘ちゃんももう独身なんだからいいんだけどさ・・・いきなり美奈をひとりでこの部屋に入れると私が朝子に叱られちゃうからさ・・・保護者としてついて来たって訳・・・悪く思わないでね・・・」
治子がウィンクしながら言った。
「・・・いや、治子の言う通りだよ。」
そう言いながらもキッチンのことが気になっていた。
彼女の聖域に入れることに罪の意識があった。
「意外ときれいにしてるのね・・・キッチン・・・男やもめなんて思えないわ。」
「いや、実を言うと使ってないんだ・・・コーヒーを煎れるくらいで・・・朝子が亡くなった時からそのまんまで・・・」
「そっか・・・朝子きれい好きだったもんね。・・・そうだ美奈・・・今から美奈ん家に行こう・・・」
「えっ?・・・はい・・・」
治子のいきなりの提案に美奈はすべてを悟ったかのようだった。
恭平は、治子の気遣いにとてもすまない気がしていた・・・それが美奈に対してなのか、朝子に対してなのかはわからなかったが・・・
治子の機転で、3人は美奈のマンションにいた。
・・・やはり・・・
美奈は育ちがいいようだ。
すべてが美奈の個性を物語っているセンスのいいシンプルな家具が配された清潔な部屋だった。
3人は、美奈の手料理でワインをいただき遅くまで飲み明かした。
治子はつぶれてしまった。
治子はいるけれど、なんとなく二人きりになったそんな気まずい空気を感じていた。
この前はあんなに二人で話し込んだのに今日は言葉が出てこない。
治子の寝息がこだまする。
美奈と二人で治子をベッドに運び、12時を過ぎた頃、恭平は帰ることにした。
帰り際に玄関で美奈が言った。
「また、ハワイの話を聞かせていただけますか?」
「そうだな・・・でもとりあえず一度行ってみるといい・・・ハワイなんてすぐそこだから・・・じゃ、おやすみ・・・」
・・・後悔していた“また、ハワイの話で盛り上がろう”と・・・ただそう言えば良かったのだ。
“ほんとにあなたって無粋な人ね”
朝子の声が聞こえるようだ。
すでに階下に下りていた恭平は、急いで引き返し美奈の部屋のドアを静かにノックした。
ずっと玄関にいたのだろうか、すぐにドアが開いた。
美奈は何も言わずにただ恭平の言葉を待っている。
「今日の料理とてもおいしかった・・・それを言うのを忘れていたから・・・それと・・・また、面白いハワイの話を仕入れておくよ。」
後ろの方でドアが開く音がした。
「あ、橘ちゃん帰るの? じゃね、おやすみ・・・」
ふあーっとあくびしながらそれだけ言うとトイレに入ったようだった。
「又来てくださいね・・・ごちそう作りますから・・・」
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