3月8日
 

「ゴンベェさん、田口です・・・今日、港署に赴任しました。」
 

田口刑事と会うのはおよそ1ヶ月ぶりだった。
のりこの精一杯のごちそうが田口を迎えた。
 

「背広姿の田口さんもなかなか素敵よ。」

「おいおい、のりこちゃん・・・」

「ははは、照れてる田口さんもまたまたステキ。」

「ゴンベェさん、なんとか言ってくださいよ。」
 

田口刑事のウエルカムパーティはとても盛り上がり、のりこも可南子も本当に楽しんでいた。
 

「ところで、田口さんはずっと大島で育ったの?」
 

デザートのザッハトルテを配りながらのりこが尋ねた。
 

「東京の向島で生まれたんだ。親父がやっぱり警察官で、僕が小学校の5年生の時に大島に転勤になってそれ以来・・・ま、だから大島で育ったようなものだね。」

「お父様は、今でも健在?」

「いや、5年前に・・・。正義感が強くて、バカ正直で不器用な親父だったけど・・・好きだった・・・親父の口癖はね“憎いのは犯人じゃない、何がそうさせたのかそれを憎め、罪を憎め、心から悪いやつなんかいない、人間として扱え・・・”」

「すばらしいお父さんじゃないですか・・・テーブルの上にあったお金を盗んだやつが悪いのか・・・無造作にテーブルに現金を置いてそんな気持ちにさせたことが悪いのか・・・考えさせられるね。」
 

田口が、警察官を継いだのもとても良く分る気がした。
 

「はい、だから犯人の検挙率は低いんです。ほとんど自首させていましたから・・・だから万年平巡査でした。」

「で、新米刑事の担当は?」
 

何の意味もなく聞いたつもりだった。
 

「あ、いや・・・まだそのう・・・新任でありまして・・・研修やなにかと忙しく・・・あっ、もうこんな時間・・・そろそろ失礼しないと・・・」

「田口さん、まだいいじゃない。」

「いやほんと、もうおいとましないと・・・のりこちゃんの手料理とってもおいしかった。また、ごちそうになりにきてもいいかな?」

「もちろんよ。」
 

田口の仕草に不自然さを感じた私は、駅まで送ることにした。

道すがらそれとなく聞いてみた。
 

「守秘義務があるので、詳しくは言えないんですが・・・例の1億円の誘拐事件が私の担当なんです。」

「えっ君も?」

「・・・君もって・・・?」

「いや・・・つまり僕もってこと・・・僕の場合は正確に言うと、江渕の汚職事件の方・・・TOKIO CITY NEWSで江渕を追っていたらしいんだ。」

「おどろいたなぁ・・・そうなんですか・・・」

たぶんふたりとものりこと可南子のことを考えていた。

「田口さん、折り入って頼みがあるんだけど・・・」

「なんでしょうか・・・?」

「迷惑でなければ、個人的に君の手伝いをさせてもらえないだろうか?」

「それはまたどうして・・・?」

「僕がいつか高木圭吾に戻ったとき、TOKIO CITY NEWS記者としてまた江渕を追いかけることになると思うんだ。江渕を追いかければ追いかけるほど、のりこと可南子を苦しめることになりそうで・・・それよりも誘拐事件を早く片付けて、江渕母娘を世間の好奇の目から解放させてやりたいと思うんだ。」

「よく分ります。僕もそうですから・・・いいでしょう。でも、くれぐれもこのことは内密にお願いします。あっそうそう、これを渡すの忘れていました。」
 

私の札入れと免許証、そしてキーホルダーにTOKIO CITY NEWSの記者手帳だった。

札入れには1万円札が10枚と千円札が6枚、アメックスのゴールドカードほかクレジットカードと銀行のキャッシュカードが数枚、キーホルダーには全部で5つの鍵がぶら下がっており、その内の一つは車の鍵らしかった。
そして手帳には几帳面な文字でぎっしりとなにやら書き込んであった。

田口と私は神谷町の方へ向かわずに六本木に向かって歩いていた。
そして交差点手前で見つけたケネディハウスというライブハウスに入った。
とても騒々しい店だったがこちらにはかえって好都合だった。
 

「僕は、ギムレットを・・・必ずフレッシュライムでジンはタンカレーで。」
 

僕は田口と同じものにした。
なんでもフィリップマーローを気取っているらしいのだが、なんのことか僕には分らなかった。
 

「さっそくだけど事件のあらましを教えてくれないか。」
 

こんなこと大声で話すことではなかったが、音がうるさくて耳を近づけても聞こえないほどだった。
 

「事件が起きたのは、1月31日の日曜のことでした。まず、江渕の愛人である林絵里子から110番が入りました。もちろん、その時は絵里子が江渕の愛人だったなんて知る由もありません。警察はお決まり通りに逆探知を試み一方では報道管制を敷き万全を期して臨んだのです。そしてその犯人からの要求額が1億円。警察は驚きました。どうみても林絵里子に1億円は不釣り合いです。」

「そこで江渕譲の登場か・・・」

「そうです。絵里子は江渕に頼るしかなかったのです。」

「ということは・・・犯人は、江渕が林絵里子の愛人であったことを知っていたことになる。」

「憶測ですが、そうだと思います・・・しかし、それを知っていたのはごく一部のものに限られています。世間に二人の関係が知れ渡ったのは事件発生から9日後・・・2月9日発売のアウトフォーカスによる暴露記事でした。これは大スキャンダルでした。効果覿面(てきめん)というやつです。世間はあろうことか犯人の方に拍手を送ったのですから。」
 

確かに世間からすれば小気味のいい出来事だ。
江渕事件はどうせうやむやになる。
犯人は現代版のネズミ小僧だ。
 

「それで、金の受け渡し方法は?」

「これがまた見事なんです。2月2日3度目の電話で犯人が指定してきたのは新宿野村ビル横の都営駐車場でした。そろそろ暗くなりかけていたのですがまだまだ人通りも多く、周りからの見晴らしもよくて警察は一切手を出せない状況だったようです。番号が不揃いの1万円札の束が100個入ったボストンバッグを持った絵里子は、Aの15番の駐車スペースに行きました。そこで予期せぬことが起こったのです。絵里子はそこで紙袋を拾いそのまま出口近くの車に乗り込み走り去ってしまったのです。」

「何が起ったのです?」

「指定された場所には紙袋が置いてありました。その中には車のキーとメッセージが入っていました。そしてこう書かれてあったのです。“出口近くのCの8番の白いカローラに乗れ。警察に知らせると子供の命はない”・・・と」

「しかし・・・」

「そう、それだけでは金は受け取れない・・・しかし、犯人はまんまと1億円をせしめてしまいました。絵里子にはトランシーバーで直接指示を出していたのです。カローラの中には・・・もちろん盗難車ですが、トランシーバーが置かれていたんです。」
 

手に汗がにじんできた。
 

「車の中にはさらに千円札が2枚と5百円硬貨が2枚そして百円硬貨が1枚置かれていました。これはパーキング代と高速代に使われました。そして、トランシーバーから一方的に犯人からの指示が聞こえてきました。あわてるな・・・ゆっくり走れ・・・右に曲がれ・・・高速に乗れ・・・30キロを保て・・・60キロにスピードを上げろ・・・と、いうふうに。」

「30キロ・・・?」

「警察が追ってこないことを確かめるためにです。つまり高速を30キロなどという低速で尾行すれば犯人に知られてしまいます。警察が関与していることが分ればその時点でこの計画を中止し子供は危険にさらされるでしょう。しかしその必要はありませんでした。とっくに見失っていましたから。そして中央自動車道に入った絵里子は調布手前深大寺の高速バス停で指示通り車を停め陸橋からつり下げられたロープにボストンバッグを引っ掛けたという訳です。絵里子はその間、警察に知らせることができませんでした。いや、知らせるつもりはなかったのかもしれません。子供は無事に戻ったのですから。」

「どうやって戻ったのです?」

「バス停のイスに居場所の書いたメモが置かれていました。」

「その後の検問は?」

「そう・・・検問は直ちに実施されました。しかし、検問にはまったくひっかからなかったのです。これは未だに謎です。絵里子がバッグを手放したのが19時30分頃、あの一帯で検問を行ったのが遅くとも15分後ですから・・・犯人が車で移動していたのは確実なんですが・・・」
 

私は、大きくため息をついた。確かに見事だった。
 

「これは、単独犯だろうか?」

「その辺は何とも・・・」

「しかし、犯人は結構手がかりを残しているように思えるけど・・・例えば、トランシーバーとか・・・紙袋・・・メモ・・・そして当のまもるくん。」

「はい、トランシーバーは、犯人からバッグに一緒に入れるよう指示があって現物は手元に残っていませんが、その後の調べでケンウッドのTR2500らしいということは分っています。周波数は144MHZ帯で通常“いっちょんちょん”と呼ばれています。この周波数を使うためには国家試験にパスしなければなりませんが、電話級のアマチュア無線技師の資格でよく、これは小学生でも持っていますから、こちらから当たるというのは至難の業です。それに免許を持っていないと買えないという訳ではありませんから、そうなるともうお手上げです。しかし、その後の通報で使用チャンネルは分っています。えーっと・・・あ、これだ145.62MHZです。」

「えっ他人が聞いていた?」

「そうなんです。アマチュア無線は周波数さえ合っていれば誰でも聞くことができるんです。車は移動していましたからたまたま他の人がそのチャンネルを使っているところへ飛び込んで行ったということもあり得ますし、特に東京は込み合っていましてみんなが入り乱れて交信しているというのが実情なんです。」

「それで警察の捜査はどこまで進んでいるんだろう?」

「それが思うように進んでいません。まず絵里子と江渕の関係を知っていた人物は今のところ分っているのは3人です。まず、絵里子の母親と弟の修です。修は工業高校を卒業した後、2年前から稲城市の自動車工場で働いていて寝たきりの母親の面倒をみています。事件当日のアリバイは白でした。そしてもうひとり、絵里子と高校時代につき合っていた近藤浩です。私生児を産んだ絵里子に同情して結婚を申し込んでいたそうです。彼のアリバイに関してはまだ確認がとれていません。そしてカローラは盗難車・・・駐車場は無人でパーキングチケットを発行するタイプのものでしたので目撃者は無し。メモもありきたりのワープロで打たれたものでした。」

「さて困ったな・・・まず無線を傍受した人たちに会ってみたいんだけど。」

「そうですね、明日彼等のリストを用意しておきます。」
 

田口と極秘の関係を結んで、別れたのは11時を過ぎていた。
マンションに戻り上着をぬごうとしたその時に、柿の木坂のマンションで見つけた封書がそのままだったことに気がついた。
世田谷区若林・・・麻生麻由美
 

“この頃のあなたは、私の手の届かないところに行ってしまったみたい。それでも私はあきらめきれないの・・・取り憑かれたように無茶をするあなたが心配です”
 

それはきれいな文字だったが神経質で感情的だった。

おかげで明日からは忙しくなりそうだった。