3月11日
 

そして、10時ジャストにダイヤルをまわした。
 

「もしもし、西田です。」
 

わたしからの突然の電話に西田は非常に驚いていた。
私たちは昼食を約束した。

待ち合わせた場所は、銀座小松ビル地下のインド料理店、マハラジャだった。

西田は、小柄だがダイエットを必要としていた。
 

「いやぁ、心配したよ。いったい何があったんだ?」
 

わたしは、かいつまんで大島での事故のことを話した。
しかし、わたしが今のりこの家に世話になっていることは伏せておいた。
 

「そうか・・・記憶喪失か・・・俺がおまえと最後にあったのは・・・」
 

西田は、上着のポケットから手帳を取り出してスケジュールを確認した。
 

「確か1月25日月曜日・・・そう、間違いない・・・あの日は、お前の給料日で、おごるから付き合えって珍しく電話をくれたんだ。でも、おまえ随分落ち込んでた。例の江渕の件で行き詰まっていたから・・・」

「そうみたいだね。なんとなくその頃の自分の状態が最悪だったってことはわかっているんだ。でも、どうして大島に渡ったんだろう?」

「そうだな・・・確かにあのときはどこかに旅行するって一言も言っていなかったから・・・もし、大島行きを決めたとしたら、25日以降に何らかの心境に変化があったってことだろうな・・・」

「そうか・・・それを君に聞くのは無理があるな・・・」

「それに、あのときお前はあまり口をきかなかった・・・というより、俺の方が一人でしゃべっていたんじゃないかな・・・そうそう、あの日俺は世間をあっと言わせる大ニュースを持っていたんだ。しかし、例のあの事件で掲載が遅れちまったけどね。ははは・・・」

「君もあの1億円誘拐事件に振り回されたってわけか・・・」

「しかし、うまくやったもんだ。これこそ完全犯罪ってやつだな。」

「完全犯罪・・・?」

「そうさ、世間を味方につけた。見事さ。見事な完全犯罪さ。世間は誰もこの犯人が捕まることを望んでいない。」
 

ショックだった。犯人はアルセーヌ・ルパンか・・・
 

「それにこれはここだけの話にして欲しいんだけど・・・2月の3日から4日の間に相次いで全国の養護施設に100万円単位でなぞの寄付金が送られているんだ。その数38カ所、金額にして3800万円・・・」

「つまり、それと強奪された1億円とは関係があると・・・?」

「たぶんね。」
 

はっきりいってわたしの心は大きく揺れていた。
わたしは、世間を敵に回さなければならないのかもしれない。
 

西田はさも満足そうにタンドリーチキンをほおばっていたが、わたしはあまり食欲がなく、ラッシーを飲んだ。

わたしは考えていた。
誘拐はほとんど成功しない。
それは、金の受け渡しが難しいからだ。
しかしこの犯人はいとも簡単に成功してみせた。
支払われた1億円はいずれ追徴金として国庫に入る金であった。
そして、その金は養護施設に寄付された。
偽善者というには容易い(たやすい)が、そのためにおかした危険も大きかったはずだ。
なぜ、そうまでして・・・絵里子と江渕の関係を知っていたのは・・・まず、絵里子と江渕本人、絵里子の弟、修・・・絵里子の高校時代の恋人、近藤浩・・・しかし、あの近藤浩が養護施設に寄付するだろうか・・・寄付されたのは3800万だけ・・・今のところは・・・3800万は目くらましかもしれない・・・
 

「オイ・・・オイ、高木・・・大丈夫か?」

「あ、ごめん・・・さっき、たしか世間をあっと言わせるニュースを持っていたと言っていたよな・・・」

「ああ、江渕に愛人がいて隠し子までいたって話かい?」

「やっぱり・・・それ、どうしてわかったんだ?」

「女の声で匿名の電話があったんだ。あのときも言ったろ、確証がつかめるまでずっと張り込んでてやっと写真に収めたところだった。あの事件のために掲載が遅れたけど効果抜群の大スクープさ。」
 

    ・・西田もリストに加えた。
 

「ところで、おまえアマチュア無線には詳しいのか?」

「ははは、俺はお前と違ってそういうのはてんでだめなのさ。」
 

わたしは、絵里子の弟の修に会わなければと考えていた。
のりこに午後からの行動を連絡した。
田口と松永から電話が入っていた。

田口とはお互いの情報交換のために夜8時に食事を約束した。

松永からは江渕の隠れ場所をつかんだという話で明後日の朝会うことにした。

修の勤めている稲城の自動車工場は、従業員5人程度の小さな工場だった。
工場の横の空き地には、ボディに白いチョークの入った車や、おそらく車検のための車が約10台ほど置かれている。
白いつなぎを着た、まだ20才くらいの若者が書類を手に工場から出て空き地に置かれている整備完了の車に乗り込んだ。
わたしは近づいて窓をノックした。
彼は、怪訝(けげん)そうにわたしを見つめ、窓を開けようとしたがパワーウイインドウのためイグニッションキーがオンになっていないと開かないらしく、少し手間取ってやっと窓が開いた。
わたしにしてみれば、ドアを開ければいいものを・・・と思ったが口には出さなかった。
 

「何か用?」
 

わたしは、TOKIO CITY NEWSの手帳を見せた。
 

「ちょっと、林修君についていろいろ聞きたいことがあるんだけど10分ほどいいかい・・・?」

「悪いけどさ、今ちょっと忙しいんだよな。これから、世田谷まで納車なんだ。」

「じゃ、もし差し支えなければそこまで一緒させてもらえないかな?」
 

少し面倒くさそうだったが、渋々了解した。

私たちは、鶴川街道から川崎街道に入り多摩川沿いに走った。
 

「で、話って何?修がどうかしたの?」
 

彼は、タバコの灰を車内に落とさないように窓から手を突き出して左手1本でハンドルを握っている。
 

「いや、別に何もしちゃいないさ。ただ、あることでどうしても修君に会わなくちゃならなくてね。そこでいきなり会う前に下調べしておきたかったんだ。」

「ふうーん・・・でも別にこれといって話すことなんか何もないよ。まじめで、おとなしくって、少し暗いけど、いいやつさ。」

「最近、特に変ったことなかったか? 例えば・・・急に金回りが良くなったとか。」

「・・・そういえば、俺のダチが1週間ほど前に見たらしいんだけど・・・あいつポルシェを転がしていたって言うんだ。真っ赤な911カレラを。俺、そんなの何かの間違いだろうって言ったんだけど・・・絶対に間違いないって言うし・・・でも、俺たちの給料じゃ逆立ちしたって無理だぜ。」
 

私たちは納車を終え、ついてきたもう一台の車で今来た道を戻った。

 

 修は髪を茶色に染めていたがおとなしいその辺にどこにでもいるごく普通の若者だった。

体中油だらけの修は、腰にぶら下げた油だらけのタオルで手を拭きながら私のところへやってきた。

彼にもTOKIO CITY NEWSの手帳を見せた。
一瞬だったが修の顔色が変わったのを私は見逃さなかった。

私たちは、工場のはす向かいにある喫茶店に入った。
修はクリームソーダ、私はブレンドコーヒーを頼んだ。
 

「ポルシェに乗っているんだって?」

「えっ? いや・・・はい、それが・・・?」
 

私のいきなりの質問に修はうろたえた。
 

「高いんだろうね・・・ローンも大変でしょ?」
 

私は、修に考える暇を与えなかった。
 

「・・・好きですから・・・」

「でも、どうしてみんなに内緒にしているのかなぁ・・・あこがれの車でしょ・・・言いふらしたくないの?」

「あ、あの・・・そんなこと聞くためにここへ来たんですか?・・・僕が、何を買おうと関係ないと思うけど。」

「ごめんごめん、立ち入ったこと聞いちゃったね・・・でも、聞きたいんだ。ポルシェ911カレラといえば、軽く1000万を超える車だろ? それを君がどうやって手に入れたのか・・・父親のいない君が・・・そして病弱な母親の面倒を看なくてはならない君が・・・それをどうやって手に入れたのか・・・いいかい、さっき僕は直接ポルシェの日本総代理店に電話をかけて調べたんだ。例えば500万を頭金に48回のローンを組んだとしても月々15万、ボーナス時にはさらに50万が加算される計算になる・・・それなのに、どうして君はそれを手に入れることができるのか・・・僕にはとても興味があるんだ・・・そう、うちの読者もね。」
 

修の目は落ち着かず、空っぽの頭がフル回転してカラカラと空虚な音が聞こえてきそうだった。 

修は、口の乾きに耐えきれずクリームソーダを一口飲んだ。
 

「もしこれが・・・何らかの・・・犯罪と関係しているんだとしたら・・・例えば誘拐とか・・・」

「違う・・・それは違う!」
 

さいわい店内には客はひとりもいなかった。

ウエイトレスを兼ねたオーナーがちらっとこちらを見たが再び伝票の整理を始めた。
 

「何が違うんだ!」
 

修は終止落ち着かず言うか言うまいか悩んでいた。
 

「ま、いいさ。どうもこれ以上は警察の仕事らしいな・・・とりあえず、書けるところまで書くか・・・」

「わかった、言います。・・・俺たち江渕から金をもらいました。」

「俺たち?・・・金をもらった?・・・共犯は誰なんだ?・・・それにもらったんじゃなくて身代金の強奪だろう。」

「違う!俺たち、あの事件とは関係ないんだ・・・ただ、姉貴のことバラすって・・・江渕の奴、マモルのことを認知しないし・・・だから俺たち・・・」

「もうひとりは、近藤だな。」
 

修は、すべてを観念したように小さく頷いた。

私は、その場で田口に連絡をとり近藤からウラを取るよう依頼した。

田口とは、約束通り8時きっかりに原宿のイタリアンレストラン“ヘブン”で会った。
 

「ごんべぇさん、お手柄ですよ。確かに修が言っていたことは本当でした。近藤の供述とぴったりと合いました。」

「ピッタリ合った・・・?つまり、それは、ただのユスリであって誘拐の犯人じゃないってこと・・・?」

「残念ながら・・・そういうことです。首謀は近藤で、マモル君のことをネタに3000万ユスってました。しかし、この件に関しては江渕からの訴えがない限り事件として扱われません。ま、訴えるわけはないですが・・・だいたい今度の事件はあんなチンピラにできるヤマじゃないですよ。」
 

私は、振り出しに戻ってしまった。

マンションに戻ったのは12時前のことだった。

のりこが出迎えてくれた。
 

「ごんべぇさん遅いんだもん・・・待ちくたびれちゃった。」

「ごめんごめん、田口さんとちょっとね・・・」

「ごんべぇさん、明日私とデートしてくれる?マモル君も一緒だけど。」

「ああ、いいよ。ちょっと気分転換が必要だし・・・」